MORAHAZA*tumblr.
33歳男性です。
先日、僕の巨乳好きがバレて、妻が「おっぱい」としか喋らなくなりました。
PCでエクセルの説明をしていたら、間違えて秘密のフォルダを開いてしまい、エッチな画像を見られてしまいました。
ものの見事にすべてGカップ以上の女性が写っていました。

妻はAカップで、はっきり言ってブラジャーをつける意味がないほど小さいバストの持ち主です。
あわてて土下座して謝ったのですが、カンカンに怒らせてしまいました。
昨日から僕が何をいっても「おっぱい」としか喋りません。

僕「ごちそうさま」
妻「おっぱい」

僕「会社にいってくる」
妻「おっぱい」

このような状態です。
どうすれば許してもらえるでしょうか?
きゃりーぱみゅぱみゅの男性版ネーミングを考えるとどうしてもガダルカナルタカになる
okazu-shokudo:

今日も玉ねぎとおあげの玉子とじ。京都ではこれをごはんにのせたものを衣笠丼といいます。すごく安くできてごはんのすすむメニューです。

okazu-shokudo:

今日も玉ねぎとおあげの玉子とじ。京都ではこれをごはんにのせたものを衣笠丼といいます。すごく安くできてごはんのすすむメニューです。

ディズニーランドを日本に進出させるにあたって、米ディズニー社は富士山の見える御殿場も候補地に考えていた。浦安地区が勝ったのは、浦安には富士山がなかったことだ。富士山が見えると、テーマパークとしての魅力が減じる。「いくら立派なパークをつくっても、ゲストはシンデレラ城を見ないで富士山ばかり見てしまう」というわけだ。
結局のところ、ディズニー社がここに注目したのは、日本のメガポリス東京に近いという市場的優位性である。こんなエピソードがある。1974年12月5日のことだ。
ディズニー社幹部が三井不動産のある新宿の高層ビルからヘリコプターに乗り、埋め立て地に降り立った。この日は快晴で風が強かったため、都心のビル街がすぐ近くに見えた。首都東京に接する地の利のよさは、アメリカのディズニー側の事業意欲を駆り立てた。「ここはニューヨークのマンハッタン島の目と鼻の先にあるようなものではないか」と、驚嘆の声が上がった。周囲に何もない広大な埋め立て地だったことにも、自由に設計図を描けるという魅力を感じたようだ。
TDLオープンから5年たったある日、加賀見俊夫社長(当時)がロサンゼルスでディズニー社のフランク・ウェルズ社長(当時)と会ったとき、「私はこの地区を日本一のレジャーレクリエーション地区にしたいと思っている」といったことに対してウェルズ社長は「日本一といわず、世界でナンバーワンかナンバーツーになれるよ」と肩を叩いたという。
市場環境としてはニューヨークのマンハッタン島と変わらない。半径50キロメートルに可処分所得の高い人が3000万人も住んでいるところは、世界中どこを探してもない。
なぜ、ユニクロに言及していない私が柳井氏から「訴える」と脅されるのか。

理由は二つある。

一つは、ユニクロが、「自分はブラック企業だ」と強く自覚しているからだろう。

第二に、「東洋経済」などでも示されたように、社員への圧迫体質と同じで、「力で黙らせること」が通用すると思っているから
公式とやってること変わらないのに逮捕ワラタwwww

あまちゃんテーマ曲選挙カーが流しているという通報複数もらってますが、私は一切関係ありません。

どれだけの思いで私たちがつくったか、毎朝みながドラマを楽しみにしているという想像力も働かずに流行にのって集票に利用していいと思う程度の想像力の人たちが政治に関わるってどうなんだろう。


最初にこの話を聞いたときに、個人的にメールを出し、理解していただき、政治広報に使うのをやめてもらいました。これで安心かと思いましたが、その後も音楽使用あとを断ちません。複数の政党?複数の候補者?が使っているようですが、正直全てにお願いすることは個人では不可能です。

政治家を目指すような人は流行音楽を利用するような選挙活動はやめてほしい、そう強く思っています

24: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/06/12(水) 15:55:16.04 ID:Z+h+FBRO0
非栄養物質を強迫的に食べたくなる病気である異食症の一種[1]。近世、冷蔵庫が普及し始めてから生まれた病気で、一日に製氷皿1皿以上食べるもの、という定義がある。
お前そんなに食ってんの?

25: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/06/12(水) 15:56:18.49 ID:oaTKQNIW0
»24 
食い過ぎワロチ
お腹壊さないのかな

31: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/06/12(水) 16:02:33.35 ID:pUcrt7ZqT
»24 
俺だそれ

32: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/06/12(水) 16:03:33.94 ID:5yfSM/GQ0
»24 
脅迫的って「食べなきゃいけない!」みたいに自分で義務的に食うんだろうか…
だとしたら俺は違うな。我慢しようと思えば我慢できるし、残す事もあるし。
製氷皿一つは…多分食べてない。5割から7割くらいは食べちゃうかも

先日、友人と観劇に行ったんだけど、仕事の都合で待ち合わせ場所は直で会場になった。
私が先に会場に入り、イスに座って待っていたら知らない人に
「あ、すいません、いいですか?」と言われたので
前を通りたいのだと思って「あ、はい、どうぞ」と答え、
足をずらすとその人はカニ歩きで奥に行き、私の隣の席に座った。
友人の席はきっと反対側の空いた席だろうと思っていたら
そこには知らない人が座る。
もしかして自分が座る所を間違えたかとチケットを確認したが間違ってない。
オロオロしながら友人を待ち、いざ来てみたら
最初に「すいません、いいですか」と言って座った女の人が席を間違っているようだった。
「なーんだー、この人が勘違いしてるんだー」と、
それを笑顔で言うと、きょとんとした顔で
「最初そこいいですかって言ったら良いっておっしゃいましたよね?」
「そう言う意味ではなく…前を通りたかったのだと思ったので…」
「んー、でももう座ってしまいましたし…よろしければ私のチケットと交換いたしますか?」
そう言って差し出されたチケットはB席、3階。
私たちのは好きな役者が出るから奮発してSS席、一階4列目ど真ん中。
その差額9千円…
呆然としました。すっごくしらけた顔してるんですよ、その人。
むしろ「何言ってるのかしら、この人たち…」って顔。
さすがにスタッフさん呼んで、移動させたけど最後まで
「さっきいいって言ったのに…だったら最初から座っていいなんて言わないでほしいわ」
とかブツブツ文句垂れてた。
スタッフさんもこう言う人は初めてなのか、
何か気持ち悪いものでも見るような顔で誘導していった。
舞台はすごく良かったんだけどなぁ…気分悪くなったわ。
編集部からの寄稿依頼の趣旨説明は次のようなものであった。
「ダウンサイズを余儀なくされた生活空間と、いつリストラされるか分からないという職場での焦燥、このままでは老後は暮らせないのではないかという将来の不安に苛まれながら、それでも、自分が少しでも心地いい居場所はどこなのか探している」若いサラリーマン男性たちが「そんな時代の中で『やりがい』とか『生きがい』を感じるためには、どうすればいいのでしょうか?」
まことに切実な質問である。
だが、このような問いに対して、私はあまりフレンドリーな回答を処方することができない。
ここまで追い詰められていながら、なお「私はどうしたらいいんでしょう?」と、事態の解決の道筋について、「他人に意見を求める」という態度そのもののうちに、「ここまで追い詰められた」ことの主因があるように私には思われからのである。
その理路について申し上げる。
「私はどうしたらいいんでしょう?」という問いのうちには、実は「問う」という以外にもうひとつ深層の含意がある。それは「クレーム」である。
「いったいどうなってんだよ?」とか「だから、どうすりゃいいんですか、いったいわれわれは?」という言葉づかいは外形的には「問い」のかたちをとっているが、もちろんこれは「問い」ではない。
「誰かが責任を取れ」と言っているのである。「誰かがなんとかしろよ」と要求しているのである。
このような要求は「責任者がいる」状況においてはたしかに適切である。ファーストフードで頼んだ「てり焼きバーガー」が15分待っても出てこないときには「どうなってんだよ」と声を荒立てるのは「あり」である。その場合には店長が「あ、すみません」と飛んでくる蓋然性が高い。
しかし、例えばアマゾン川下りクルーズの最中にボートが転覆して、アナコンダとアリゲーターが指呼の間に望見されるというような場合には「責任者出てこい」というようなことを言うのは時間のむだである。その暇があれば、必死で岸めざして泳いだ方がいいし、それよりもまず船に乗る前に、ボートの強度やガイドの人間的信頼性について吟味すべきだったと思う。
そういうことである。
「私はどうしたらいいんでしょう?」という問いはすでに自分が置かれている状況についての予断を含んでいる。そういう問いが出来る人は「申し訳ありません。あとは私がなんとかします」という「店長」が存在するということを前提にしている。
だが、世の中には「店長がいない」局面というものが存在する。
私たちが陥った苦境について、誰も責任を取ってくれない、誰も状況説明をしてくれない、誰もどうすればいいかを教えてくれないという局面が存在する。
そのような危機的状況のことを国際関係論では「デインジャー」と呼ぶ。それに対して、「責任者がいる」危機的状況のことは「リスク」と呼ぶ。リスクは「マネージ」したり「コントロール」したり「ヘッジ」したりできる。「デインジャー」にはそういう手が使えない。
喩えて言えば、サッカーの試合中に「試合に負けそう」というのは「リスク」である。試合の帰趨は選手交代やフォーメーションの変更や監督の罵声などでコントロールできるからである。それに対して、サッカー場がテロリストに襲われるというのは「デインジャー」である。テロリスト相手には「こういう場合にはどうすればいいか」についての一般解が存在しないからである。デインジャーからは、自力で、自己責任で、自分の才覚で脱するしかない。
「私はどうしたらいいんですか?」という問いを口にできるということは、「私が直面している状況はリスクであって、デインジャーではない」という状況判断を下したということである。それは言い換えれば「誰かが答えを知っている」「答えを知っている人間はそれを開示すべきだ」「オレにも教えろ」という一連の推論をなしたということである。
その危機感のなさが私たちの時代の若い方々の危機の本質的原因だと私は申し上げているのである。
率直に言うが、日本社会はすでに「前代未聞・空前絶後」の社会状況に入っている。人口の不可逆的な減少、それによる経済活動そのものの縮小ということを経験したことのあるものは先進国には存在しない。ということは「こういうときはどうすればいいか、私は知っている」と言うやつがいたら(経済学者でも国際政治学者でも)そいつは「嘘つき」だということである。
日本社会はいま急速に流動性を失って階層化が進行している。上層の一部に権力も財貨も情報も文化資本も集中する一方で、巨大な「下層」が形成されつつある。その階層差を形成しているのは端的には危機感の差である。「いま、私たちはどうふるまっていいかわからない状況に入りつつあり、正解は誰も知らないし、誰も教えてくれない」ということを切実に受け止め、それゆえ自分の判断力と感覚を信じて生きる人間たちは生き残り、「どうすればいいんでしょう?」とぼんやり口を開けて、「正解」を教えてくれる人の到来を待ち望んでいる「受け身」の人たちは下層に吹き寄せられる。残酷なようだが、そういうことである。
健闘を祈る。
そんなことを訊かれても (内田樹の研究室) (via yuco) (via yaruo)
2010-01-09 (via gkojay) (via lllkml) (via gkojax) (via ipodstyle) (via yaruolikes) (via yaruo)